もう弾かないピアノ。手放すべきか否か迷っています

ピアノを手放すべきか、手元に置いておくべきか。
どうしたらいいでしょうか。
とても迷っています。

こんな相談をしていいのかどうか、ちょっと迷ったけれども、行ってみた。
エムコさんのところに。

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占い師エムコさん

エムコさんは、占い師。
見た目は細身なのだけれど、なぜかどっしり感がある。
ぱっと見キリッとしているのだが、よくよく見るとボヤッとした表情。
直線的なデザインの服を着ているかと思うと、ぐにゃぐにゃとした服をまとっていることもある。
物をはっきり言いそうだけれど、歯に衣を着せるのも得意。

何度会っても「よくわからない」としか言いようのない人だ。

私はたまにエムコさんのところにいく。
それも「人生の岐路に立たされたとき」とか「深刻な悩みを抱えているとき」ではない。

「これはエムコさんに話してみたい」と感じるできごとがあったときだ。
「答えを出したい」ときもあるし、「答えを出したくない」ときもある。
これもまた、「よくわからない」のだ。

「ピアノはやりたくて始めたんじゃないんです」

私は早速、エムコさんに聞いてみた。

「子どものころに使っていたピアノがあります。中学に入るまでピアノを習っていました。でも、中学以降これまで約30年間、ほとんど弾いていません。」

エムコさんは、うなずきもせず聞いている。

「手放そうと思うのですが、何か心にひっかかるんです。手放したらどうなるか、そうしなかったらどうなるかを知りたいです」

エムコさんは、そこで初めてうなずいた。
無言で、タロットカードをテーブルの上に広げる。

「こちらが手放した場合。こちらは、そうでない場合」
そう説明しながら、エムコさんはカードを2枚並べる。

「手放した場合」にはこんなカードが出た。「愚者」だ。

タロットカード

「手放さなかった場合」は「悪魔」。

エムコさんは、私に質問した。
「気になるカードはどっち?」
「これですね」
私は、悪魔のカードを指さす。

「じゃ、このカードで一番気になるところは?」
「鎖です」
私は、悪魔の前に立っている男女の中央を指さす。
彼らは、悪魔が座っている台座と、鎖でつながれている。

エムコさんは、矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
「ピアノを買ったのはいつですか?」
「多分、4歳くらいです。幼稚園に行き始めたころです」

「あなたはピアノが欲しかった?」
「いいえ。気づいたらピアノが配達されていました。ピアノが家に運び込まれるのを、へぇっと見ていた記憶があります。他人ごとのように」

「それから、ピアノを習い始めたんですね?」
「通っていた幼稚園の音楽教室に行きました」

「ピアノを弾いてみたいと思ったんですか?」
「あまり記憶がありません。ピアノが家にある。それは私が弾くのだろう、と自動的に考えていたのかも。どうしても習わせてほしい、とねだった記憶はないです」

「ピアノを弾くのは、楽しかったですか?」
「初めの頃は、幼稚園から帰ると玄関からピアノまで直行していました。カバンもおろさず、ピアノを弾いていました。でも、すぐに飽きました」

エムコさんは無表情で聞いている。
しらないあいだに、私はエムコさんの質問を待たずに次々と話し始めていた。

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悪魔は誰?私に無理やりピアノを習わせたあの人?

「小学生になってからは、近所のピアノ教室へ行きました。ここも、それほど熱心に通ってはいませんでした」

「レッスンの直前に、慌てて練習するくらい。先生に、毎回『ちゃんと練習してきてね』と言われるのがイヤでした」

「ピアノをやめたいと母に言いました。でも、『小学生の間は続けたら?楽譜が読めたら役に立つかもしれないよ』と軽く言われて終わりでした」

話しながら、私はピアノを頭に思い浮かべた。
狭い部屋の大部分を占める黒い塊。
それは、まるで自分の黒歴史のような気がした。

押しても引いても動かない。
誰も奏でる人がいないから、しんと静か。
静かに黒光りする沈黙の物体。

アップライトピアノ

「練習もせず、ただレッスンに行くだけという状態でした。だから、いつまでたってもバイエルどまり」

「そのあと、違うピアノ教室に行くことになりました。母が『今度習う先生は、大学でも教えているすごい先生なのだ』という話をしていたような気がします」

「その先生は、いつも白いブラウスに紺色のタイトスカートでした。私があまりに練習をしてこないので、先生はある日こんなことを言いました」

『私は、ずっと紙鍵盤で練習していたの。いくら頼んでも、ピアノなど買ってもらえなかったのよ。ピアノが家にあったらどんなにいいだろう、と思いながら、何年も何年も、紙鍵盤で練習した。指が机に当たるととても痛いけれど、毎日頑張ったわ。やっと親がピアノを買ってくれた時は本当に嬉しかった。あなた、せっかくおうちにピアノがあるのに。もっと練習しないとダメじゃないの』

ここまで言って、私は叫んだ。
「はぁあ???紙鍵盤???」

悪魔は誰?紙鍵盤?

私は、教則本の付録についていた紙鍵盤を思い出した。

白いブラウスと紺色のタイトスカートの先生は、机の上にこれを広げて、一生懸命練習していたのだ。
どれだけ弾いても音の出ない鍵盤に向かって。
音を頭の中で想像しながら。

私は、家にピアノがある。
しかも田んぼの中の一軒家。
弾きたければ、夜通し弾いていられる環境だった。
実際は、夜通しどころか1週間に10分も弾いていない。

鍵盤

こんなに恵まれた環境なのに、やらないなんて。
なんて悪い子。
ひどい子。
いけない子。

自分で自分を罰する声が聞こえる。

私は驚いた。
まさか、白いブラウスと紺色のタイトスカートのピアノの先生の紙鍵盤の話が、自分の中から出てくるとは。

そんな話、これまでに思い出したこともない。そんな話を覚えていたんだ、私。

「エムコさん!!!」
私は、エムコさんがびくっと身体を振るわすほどの大声で叫んだ。

「私、ほんとうは全然違うストーリーになると思っていたんです」
「へぇー。どんなストーリー?」

「ピアノを手放せないのは、母の呪縛だというストーリーです」

エムコさんは、相槌も打たずにぼんやり私の顔を見ている。私は続けた。

「ピアノを弾いてみたかったという自分の夢を子どもに託す母親。そんな母親の夢を一手に引き受け、自分を殺しながら一生懸命に期待に応えようとする私」
「結局バイエル程度しか弾けなかった出来の悪い私。大人になってからも、いくらでもピアノを習うことはできたのに、それもしない」
「十分にピアノを活用できないまま手放すのは、母を裏切ることに等しい。ピアノを弾きたいとは思わないけれど、母の期待に応えないまま手放すなんて、母は悲しむに違いない」
「ピアノに限らない。私は、いつだって母の顔色を伺いながら生きてきた。部屋にどどーんと置いてあるピアノは、母に気兼ねする私の心の象徴だ・・・」

黒鍵

ここまで一気にまくし立てた私は、一息ついた。

「つまり、私がピアノを手放せないのは、母のせいだ!というストーリーです。一言で言うと」

エムコさんは、面白そうな顔をして言った。
「それもあるかもねー。でも、叫んだよね。『紙鍵盤!』って」

そうなのだ。確かに私は「紙鍵盤」と言った。
そして、紙鍵盤のエピソードを口にした瞬間『正解はこれしかない』という確信があった。

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期待に重りを追加するゲーム

エムコさんは、私に尋ねた。
「ピアノを手放したいということは、お母さんに言った?」
つい最近、そういう話を母にしたばかりだ。
「言いました。母は『へ??好きにすればいいじゃない?私に引き取れと言われても困る』って言ってました」

エムコさんは爆笑した。
「お母さんは『小学校の間はピアノを続けよう』と言われた。で、あなたはちゃんと続けた」
「はい」
「お母さんは『ピアニストになれ』と言ったわけではない」
「言ってません」
「どこかの時点で『まだバイエルしかできないのかよ』と言われたわけでもない」
「言われてません」

エムコさんは言った。
「あなたのいう『母の期待』って、『小学校の間、ピアノでもやってみたら?楽譜読めたら色々便利だよー。以上』ということだったのでは?」

言われてみればそうだ。
えらく軽いじゃないか。

しかも、私はその期待を十分クリアした。楽譜が読めて便利だな、と思ったことも何度もある。
「押しつぶされそうなくらいに重い」と決めつけていた母の期待の正体は、これ?
私はひとりで重りをたくさんぶらさげて、勝手に重量オーバーにしていた??
勝手に重くして、ゲームを楽しんでいた???
なんじゃ、このゲームは。

エムコさんは言った。
「しかも、『期待』は相手が勝手にするものだから、」

エムコさんは、『コレ大事』と思うことを言う時、軽く背筋を伸ばす。
「応えても応えなくてもいいんだよ」

「まぁ、自分が相手に期待する時も同じだけどね。応える応えないは相手次第だから。うん。ということで、カードに戻りまーす」

「自分に合った持ち物」なら、持ち物に自分を合わせる必要がない

エムコさんは悪魔を指で撫でながら言った。
「手放さない場合は引き続き、紙鍵盤の悪魔とお友だちでーす」

エムコ節が続く。
「紙鍵盤でがんばって練習して、ピアノの先生になった人もいる。私は、本物のピアノを持っている。紙鍵盤より上手になって当然だ・・・いくら本物のピアノでも、全く練習しなければ、紙鍵盤の方が上手になって当然だよね?」

「本物のピアノにふさわしい腕前にならなければいけない・・・これさ、本当に私はピアノが弾きたいかどうか?が抜け落ちてるよね?」

「そもそも、ピアノは、本当に自分が必要なものなのか。子どものころはともかく、大人になった今、どうなんだろう?」

「そういう吟味をすることなく、ただ『手元にあるから』『手放すのは惜しいから』という理由で、その持ち物に一生懸命自分を合わせようとする。でも、ピアノが弾きたいという気持ちはない。だから自分を合わせられない。そこに摩擦が起きる」

「勝手に作り上げた『あるべき自分』になれないからと自分を責める声。それが『悪魔』のささやき」

「こういう私にならなきゃね」という鎖

次に愚者のカードを撫でながら続く。
「ピアノを手放した場合。『持っているものに自分を合わせる世界』から『自分に合っているものだけに囲まれた世界』へようこそ」

「身軽になって新しい世界へ。まさにこの愚者だよね。自分に合わないものは持っていないから、『この持ち物に合う自分にならなきゃ』と無理する必要がゼロになる」

持ち物はバラと小さなカバンだけ

そしてまた背筋を軽く伸ばしてエムコさんは言った。
「どっちも選べるよ。どっちにするかはあなた次第」

私は決めた。
「愚者にします」
背筋を軽く伸ばして続けた。
「で、手放した私のピアノが、今は紙鍵盤で練習している子に使ってもらえたらいいな」

われながらいいセリフが決まったぜ、と思ったとき、エムコさんは口を開いた。

「鍵盤の上に、フェルトが引いてあるでしょう、あれをマフラー代わりにして遊んでいたんだよね。それが私のピアノの一番の思い出!!」

この赤いフェルトのこと?

やっぱり、エムコさんのことはよくわからない。