『サラとソロモン』が苦手でした―「いい気分」になれないから困ってるんです!

「引き寄せの法則」を読みやすい小説仕立てにした『サラとソロモン』。
主人公はサラという女の子。賢いふくろうソロモンから「どんな状況でもいい気分でいること」の大切さを学びます。

私がこの本に出会ったのは数年前。敬愛する友人が勧めてくれました。その時の私は、はた目から見たら「いい」とは言えない状況。

でも、状況を「よくない」と判断していたのは「はた目」ではなかったな、と今は思います。
良くも悪くもない単なる「状況」に「よくない」という色をつけていたのは他でもない自分だった。

おそらく、友人もそのことをわかっていたのでしょう。
真正面にそれを私に伝えるのではなく『サラとソロモン』を面白いから読んでみたら?と勧めてくれたのでした。
振り返ってみると改めてありがたいなぁと思います。

友人から勧められて早速本を読んだ私ですが、本当に腑に落ちたと感じたのは、実はまだ最近のこと。ずっと、この本に苦手意識をもっていました。

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「いい気分」になれなくて「いやな気分」になってしまう


賢いふくろうのソロモンは、サラにこう教えます。

君が幸せな時はいつでも、君が味わい愛でる気持ちを感じている時はいつでも、つまり、人々や物事のよい側面に気がついている時はいつでも、君の波動は君が望んでいることと調和する波動になっているということなんだ。でも、君が怒っていたり怖がっていたりする時はいつでも、また、君が罪の意識を感じていたり落胆していたりする時はいつでも、その瞬間においては、君の波動は自分が望んでいないことと調和する波動になってしまっているんだ。

エスター&ジェリー・ヒックス「サラとソロモン」ナチュラルスピリット

私がつまづいたのは、ここなんです。

怒っていたり怖がっていたりする時はいつでも、また、君が罪の意識を感じていたり落胆していたりする時はいつでも……望んでいないことと調和する波動になってしまっているんだ。

エスター&ジェリー・ヒックス「サラとソロモン」ナチュラルスピリット

ここから、私の「感情の見張り」が始まりました。

怒ったり怖がったりしてはいけない。望んでいないことと調和してしまうから。

罪悪感や落胆を感じてはいけない。望んでいないことと調和してしまうから。

怒りの感情や不安の波がどこからともなく押し寄せるたびに「これはだめ!」「感じてはだめ!」と必死に波から逃げようとしました。

波から逃げるために「怒りや不安を感じなかったことにする」「ほかのことを考える」ことに集中しようとしました。

でも……皆さんご存じですよね?
人間は「ピンクの象のことだけは考えてはいけません」と言われたらピンクの象のことしか考えなくなることを。

怒りや不安の波から逃げようとすればするほど、波に体ごともっていかれる。
そのたび「やっぱりできない」「どうがんばっても無理」が積み重なり、「いつもいい気分でいるなんて、私にはできません」という結論に。

「いやな気分」と同居してよいという発想

「いい気分」でいよう!というフレーズを目にするたびに、どうせ私にはできませんよ、と「いや~な気分」になっていたのですから相当なものです。自称「サラソロアレルギー」。

それでも、無理矢理感のない「いい気分」のときは、自分の体感がよいという実感はありました。だから「いい気分」を感じたいという気持ちは、忘れたころに何度も顔をのぞかせます。

今度こそいつも「いい気分」の自分になる!と意気込んでみるものの「いい気分」になれない。
そんな自分に直面し「いやな気分」になる。
しばらく「いい気分」から距離を置く。
でも、また気になって「いい気分」な自分になろうと挑戦してみる。
やっぱり玉砕。

こんなことを繰り返し、サラソロアレルギーが重症化していたころ、たまたまこんなブログを目にしました。

気になることで
気にしたくないことがある時は


「気にしないでおきたい」より
気にしたまま
気になったまま
気になる自分を許したまま
気にする自分に抵抗しないまま


そのまま


そのもやもやと
このざわざわと

「何か気になる」と
同居できるんだと
思ってみる。

ブログ「呼吸法と量子力学で風景が変わっていく 岐阜

あっ、と思いました。

「不安にならないでおきたい」より、不安なまま、不安になる自分を許したまま、不安になる自分に抵抗しないまま「同居する」という発想。

一緒にいてよい、という発想。

「不安を感じる自分」をまるっと認める発想。

別に、それでいいじゃない?と声をかけてあげるという発想。

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必要なのは「まず自分の感情を認めてあげること」だった

私にとって「いい気分」にたどり着くために抜けていた発想がそこにありました。

まずは、不安になることに許可を与えてあげる。
すると「ほっとする」。

不安な自分でいいんだ。
強い自分でなくてもいいんだ。
どんな自分も肯定してよいと思うと、そこで自然に「気分がよくなる」ことがわかりました。
そのままでもよいし、「じゃあ他のことを考えてみようか?」という余裕が生まれるから、考えたければ考えてもよい。

「いい気分」になるには、それ以外の気分を一掃しなければならない。そんな思い込みに気づきました。不安の波があるところに「いい気分」は存在しえないと決めつけていた。

「同居すればいい」という発想に出会ったことで「いい気分」の設定を大きく書き換えることができたのです。

そして先日。
私に大きな示唆を与えてくれたブログ(呼吸法と量子力学で風景が変わる 岐阜)を運営されている方が主催する会に出席できる機会がありました。

それも、『サラとソロモン』の体読瞑想の会です。そう、あの私を悩ませた(というか、ひとりで勝手に悩みを作り出していた)『サラとソロモン』。
「読んで『ふ~ん』で終わらせるのではなく、登場人物を自分に重ね合わせる。自分だったらどうだろうと考える。考えながら、自分の心身の状態を観る会です」というのが会の趣旨。

会の中ではもちろん「いい気分」について触れられました。
「少しでもいい気分になるために『こうやって過ごしてみよう』と実験する気持ち」「できるだけ抵抗が少ないもの、楽にできる考え方を選んでいく」というフレーズが出てきました。

気分の方向を「少しだけ」変えることの「大きさ」

過去の私は「抵抗が少ないもの、楽にできるもの」という視点がなかったと再確認。「いい気分」を一般的にポジティブと言われているものだけに限定して、一気にそこへいこうとするから、抵抗の大きさは半端なかったと思います。だから、全然楽にはできなかった。

気持ちがマイナス100まで落ち込んでいるときに、「いい面もあるんだから!」と言われて無邪気に「そうだね!」と一気にプラス100まで反転するのは、かなり大きな抵抗を感じる話。

まずはマイナス90とかマイナス80を目指してみる。
「いい気分」の方向へベクトルを向けられれば、それで十分なのだと思います。「楽にできるもの」でいいのだから。

「いい気分」は、ひとつの決まりきったものではない。
「こう感じなさい!それがいい気分」と、すべての人に適用されるものではない。

「いい気分」という言葉に象徴されているのは、少しでも方向を変えてみようという試みのことだと、今の私は解釈しています。

どれだけ距離を伸ばせるかではなく、ほんの少しでよいから方向を変えるヒントをもらう。抵抗が少なく方向を変えられたら、距離は自然に伸びていくものかもしれません。

そんな気持ちで『サラとソロモン』を再読しています。

もちろん、「いい気分でない自分を克服しなきゃ!」という苦手意識からではなく、心から読みたいという気持ちから(笑)。