「客観的に観察する」練習

観察

「あいての気持ちを考えて行動しましょう」。
小学校時代、「学級目標」として教室の黒板の上に大きく掲げられていたこの文言。
それ以来、私は「あいての気持ちを察する(そしてそれに出来る限り対応する)」ことをよしとして社会生活を送ってきました。

しかし、ある時気づいたのです。「あいての気持ちは絶対にわからない」ということに。

これは「あいての気持ちを察して対応したのに思い切り的外れ」という負け戦から得た教訓です。

スポンサーリンク

あらゆることに主観が入り込んでいる

「あいての気持ちを考える」練習を繰り返してきたおかげで、私は何を聞いても何を見ても、主観を入れ込むことが得意になっていることに気づきました。


たとえば……


「この仕事もお願いします」
という追加発注連絡を
「あなたの卓越したお力をさらに貸していただきたい!」
という自分への賞賛と受け取る。

いいね

という程度ならおめでたい話でなによりなのですが、


「雨が降ってきたね」
という単なる天気の観察を
「早く洗濯物を取り入れろ、と言われている!」
という「気の利かなさの指摘」と受け取る。

「トイレットペーパーが切れていたよ」
という単なる注意喚起を
「補充していないと責められている!」
という断罪と受け取る。

「いつもより帰りが遅かったね」
という単なる事実を
「こんな時間までどこをほっつき歩いてるんだ」
という叱責と受け取る。

がっかり

……という具合だと、ちょっと……おめでたくないですね。

「いつもより帰りが遅かったね」という言葉の裏にあるのは、
「こんな遅くまでお疲れさまでした」という労いかもしれない。
「何かあったのかと心配しちゃった」という心配かもしれない。
そもそも、なーんにもないかもしれない。

わからないのです。
相手が何を考えてその言葉を発しているかは、本人に聞いてみない限りわからないのです。

そして、こちらから「それってどういう意味で言ってるの?」とわざわざインタビューする必要はありません。

マイク

なぜなら、往々にして意味は自分でくっつけているだけだから。「非難されてる?」「賞賛されてる?」そんな意味を自分でくっつけなければそれで終わりなのです。

それを勝手に「叱責」と受け取り「ひどいことを言われた」と落ち込んでいたのですから、過去の私には「おつかれさまです」としか言いようがありません。

そんな以前に比べれば、字面だけを淡々と受け取ることが増えてきました。

それができなくても「今のは自分で意味をくっつけたな」ということに気づけるようになったのは大きな変化です。

客観的に見る練習をしよう

この言葉の裏に何があるんだろう?と推理せずに、淡々と受け取る力をつけるのに効果的なのが、「客観的に見る練習」です。

心理カウンセラーの大嶋氏の著書に、こんな描写がありました。大嶋氏が大学で受けた授業の話です。

金魚が1匹だけ入っている金魚鉢をもって、教室に入ってきた教授。
その金魚鉢を教壇の上において「客観的な観察!レポート用紙10枚!」と言って去っていた。学生たちは金魚鉢の近くに駆け寄って、ひたすら金魚を観察。

「金魚は右左に泳いでいて、退屈そう」とか「ターンを繰り返していて、狭いところでかわいそう」などと書いていた(それって客観的じゃなくて主観的ですから~!)。

大嶋信頼『無意識さんに任せればうまくいく』PHP文庫


どうしても「退屈そう」「かわいそう」という主観が入り混じるのですね。
案の定、翌週の授業では主観部分を真っ赤に修正されたレポートが返却されて「もういちど客観的な観察をやり直し!」と相成ります。

「尾びれの上部をおよそ45度右に動かし、さらに左に45度動かすことで、およそ170度胴体をターンさせて、金魚鉢の壁面にぶつかることを回避した」(この「回避した」に赤が入っていた。客観的ではないという教授の印)。

大嶋信頼『無意識さんに任せればうまくいく』PHP文庫

1回目よりはずいぶん「客観的」に見えますが「回避した」は客観的ではないのですね。
たしかに、金魚に「回避しよう」という意図があったのかどうかは、金魚でないとわからない。「壁面にぶつかる前にたまたま方向転換しただけ」と見る人もいるでしょう。
どちらが正しいか金魚に尋ねる術がない以上、客観的事実として取り上げることはできないわけです。

タロット

「金魚は、目をおよそ3秒に1度上に向け、そして、下に向けた」「さらに金魚は、金魚鉢の底から10センチのところから4センチ浮上して、8秒後には再び10センチのところまで戻っていった」などと書いていった。ひたすら客観的に書いていると、ペンが止まらなくなる。

大嶋信頼『無意識さんに任せればうまくいく』PHP文庫


これこそが、誰が見てもこのようにしか書けない「客観的事実」。
そして面白いのが「ひたすら客観的に書いていると、ペンが止まらなくなる」というところ。

主観を働かせなければ余計なエネルギーを消費しないから、疲れを知らず「ペンが止まらなくなる」のでしょう。

相手の言葉に一喜一憂しがちなときは、上記のエピソードに出てくる金魚のように観察してみましょう。

「花子は、およそ4秒に1度まばたきをしている(『頻繁に』『しょっちゅう』などと主観を入れない)」
「花子の口から出る言葉は、180秒の間、一瞬も絶えることがなかった(しゃべりすぎた!などと主観を入れない)」などなど……。

きっと、どれだけでも観察していたくなると思います。