大アルカナ「運命の輪」は思い出させてくれる!「かみ合うってこんなこと」

「どうもあの人とは会話がかみ合わないな」というときがあります。
ちょっとモヤっとしますね。

逆に、「打てば響く」ようなやり取りができるときもあります。テンポよく会話が進み、話しているだけで楽しい。

テンポがよいといえば、いろいろなことのタイミングがピッタリあうときも同じ。駅に行ったらちょうど電車に乗れたとか、待たずにタクシーが来たなんていうときは「かみ合っている」感がありますね。

会話に関していうと「会話がかみ合う」のは自分と相性のよい相手だからだ、と思いがちです。
しかし、実は違うのです。相手の問題ではなく、あなたが「神と合っている」からなのです。

「かみ合う」とは「神合う」なのです。

この世には、ある「流れ」があります。
その「流れ」は人為的に操作されているものはありません。
人間があーしようこーしようと思っても、どーにもならない「流れ」です。

激流

誰がどういう目的でどのように「流れ」を作っているのか、皆目見当がつきません。
ですので、ここでは便宜上「流れを作っているのは神」ということにしておきます。

私たちには「流れ」をどーにかできる部分もあるのですが、まぁそれも怪しいです。
「どーにかできたつもり」になっているだけで、実際は「それも流れの中の話」だったりするので。

ともかく、その「流れ」とうまく「かみ合う」コツというものがあります。
それは「流れを自分で予測しないこと」。

好ましい方向であれそうでない方向であれ、流れを予測することをやめる。それが「流れ」とうまく「かみ合う」コツ、つまり「神合う」コツです。

相手との「会話がかみ合う」とき、あなたは自然にこれをやっているはずです。
つまり、会話の方向性を予測していないとき。

「流れ」に身を任せているときです。

そんなときは、「相手はこういうつもりで言っているのかな?」と話を聞きながらも頭の中で忙しく考えを巡らせたり、「次はこう言おう」と次の準備をしていたりしていません。

会話を取り巻く全体の「流れ」に身を任せている、つまり「神合っている」ので会話も「かみ合う」のです。

予測していないほうが絶対に強いのです。相手のどんな動きにも即座に対応できるのは、何の予断ももっていないからこそできることでしょう。ただひたすら、相手の気配をまっさらな状態で感じ取る。それを禅では「無心」といいます。

玄侑宗久「流れにまかれて生きる」

大アルカナ「運命の輪」は「かみ合うこと」の心地よさを思い出させてくれます。