大アルカナ「力」は思い出させてくれる!「やわらかいちから」


「やわらかいちから」は、「腕力にモノを言わせる」「力づくでねじ伏せる」というときに使う「力」ではありません。
ピッタリくる表現は「柔よく剛を制す」。
柔軟性のあるものが、強いものを負かすときに使います。


氷と水はどちらも同じものが形を変えただけ。固形か液状かの違いです。

氷は硬いけれど、岩に当たれば砕けます。砕けるときは何となく痛そうですね。形も変わってしまいます。


一方、水は岩に当たっても壊れることはありません。「イテテテ」と痛がることもありません。形も変わりません。

しかも、長い時間がかかりますが、絶えず打ちよせる波はいずれ岩を削ってしまいます。自分はまったく形を変えずに、相手の形だけを変えてしまいます。

「力」を辞書で調べると「ほかのものを動かす働き」という説明があります。
私たちは、ほかのものを動かすためには腕力や権力などの「力」が必要だと感じることが多いです。でも、本当に何かを動かすのは「やわらかいちから」かもしれません。


「やわらかいちから」を発揮している本人には、ちからを発揮しているという自覚がありません。
波が「この岩を削ってやろう」と意図して打ち寄せているのではないのと同じように。
自覚がないのは、無理なく自然に発揮してしまうからです。「やってやるぞ!」と肩に力が入った感じがないのです。

「痛い思いをしてこそ成果がある」というのは「剛」の考え方です。

「やわらかいちから」である波は、痛さを感じるどころか、岩に当たる感触を楽しんでいるようにも見えます。

楽しいからやっていたら、おまけで岩が削れてしまう。岩が削れるなんて予想すらしていなかったのに、びっくりだね。と、また何事もなかったかのように岩に打ち寄せ続けることでしょう。

これまで「剛」でがんばってきたことを「やわらかいちから」でやってみたら、意外にカンタンにできてしまった。そんな発見がありそうです。

この世で最も柔らかいものが
この世で最も硬いものに勝る。
形が無ければ、隙間のない場所にも入りこむ。
だから、無為には価値がある。

ウエイン・W・ダイア―「老子が教える 実践 道(タオ)の哲学」


大アルカナ「力」は、あなたがもっている「やわらかいちから」を思い出させてくれます。