大アルカナ「皇帝」は思い出させてくれる!「その不安定が安定を生んでいる」


「安定」とは「不動」ではありません。

確かに、安定は「激しい変化がなく物事が落ち着いた状態にあること」。
うっかり「不動と真逆じゃないか!」と思うところですが、変化をどのスパンで見るのか、という問題。

安定のためには、一時的に不安定な状況になることが必要なのです。

たとえば、歩くとき。
右足を地面から離します。左足だけで立つことになるので、不安定な体勢になります。「大丈夫かな?」と少し心もとなく思うかもしれません。

地面にしっかりくっついていた右足を空中に浮かせる。

これは「激しい変化」です。「物事が落ち着いた状態」とは言えません。
1秒以内のスパンで見れば、明らかに状態が変化しています。

ではもう少し動作を追ってみましょう。
空中に浮いたままでは不安定なので、人間は自然に右足を前に着地させる。
これで一歩進むことができます。

これを繰り返せば「前へ進む」ことができます。
右足と左足を動かすリズムが一定になれば、それは「安定して前へ進む」状態になります。

1秒以内のスパンで見れば「激しい変化」だった足の動きも、5分、10分というスパンで見れば「安定した歩み」。

さらに、この調子で前へ進むことができれば、食べ物を取りに行くことができます。
木の実を取りに行ったり、マンモスをしとめに行くことができます。
食べものを確保できるのです。

確保した食べものは、生命維持の強い味方です。
1秒以内のスパンで見れば「激しい変化」だった足の動きが、時間や日のスパンで見れば安定した生活の礎をもたらしてくれるのです。


右足を地面から離したときの心もとなさ。
でも、長い目で見たときの安定につながっているとわかれば、心もとなさを限りなく小さくできるのではないでしょうか。

人はただ生きているだけでも、受け入れがたい現実を受け入れるために、さまざまな葛藤が起きている。生きていると、嫌なことも傷つくこともあり、そのため痛みをともなうこともあるだろう。生きているだけで、頭と体のバランスは大きく崩れていく。そうした不安定な状態を経ながらも、全体性としての調和を保とうとしながら「いのち」の力は進行し続ける。

稲葉俊郎「いのちを呼びさますもの」アノニマスタジオ

目の前の「不安定」は、その先の安定のために起きている。

大アルカナ「皇帝」は「ほんとうは、常に安定している」ことを思い出させてくれます。