大アルカナ「悪魔」は思い出させてくれる!「人生をオモシロく語るスキル」

地獄と呼ばれる場所には、入口に悪魔がいるそうです。
この世を去った人々はまず、地獄の入口に送られて悪魔の前に立ちます。そこでこう質問されます。

「どんな人生でしたか?」

そこで、人々は3分間のスピーチをします。

たとえばXさんのスピーチ。

「……どんなって言われても。ごく普通の人生です。車の販売店に就職して、これといった業績もあげず定年まで勤め上げました。仕事が楽しいと思った記憶はないですね。生活のために働かないといけないからやっていただけで」

「定年後は、お金が稼げるような特技もないから、毎日あっちのスーパー、こっちのスーパーと妻の運転手。それと、ほかにやることもないから洗車」

「死因は、わき見運転による自損事故。突然だったのでびっくりはしましたが、あと10年20年余計に生きたところで同じような人生が続くだけだったでしょうからね。つまらないことの繰り返しを、適当なところで切り上げられてよかったんでしょうかね……」

まだ3分たってませんけど?

「人生がつまらなさすぎて、話すことがないんです。以上」


次はZさんです。

「私は車の販売店で35年間お世話になりました。特別に営業成績がよかったわけではありませんが、車が大好きなので毎日車に囲まれて仕事ができたのは楽しかったですね」

「定年後は、毎日好きなだけ洗車をして過ごしました。晴れの日も曇りの日も、もちろん雨の日も。洗いすぎて塗装がはげるんじゃないかとからかわれましたが、幸いはげたのは自分の頭だけですみました」

「車は、見るのも触るのも乗るのも大好きなので、毎日妻を車に乗せてスーパーへ出かけるのが楽しみで。知ってます?スーパーによって、外車が多かったり軽が多かったり、特徴があるんです。かっこいい車が駐車場にあると思わず触ってしまうので、車に戻ってきた持ち主に通報されそうになることもしばしばでした」

「そんな私ですから、死ぬ当日まで車が運転できたのは最高に幸せなことでした。私の死因ですか?わき見運転の自損事故です。ガードレールのない堤防道路を走っていたら、対向車線にものすごいクラシックカーが現れまして。見とれるあまり堤防から落ちました」

「車も全損、自分も全損。車とまさに一蓮托生。これ以上ない人生の幕引きでしたよ。最高ですね!いくら車好きだからって、車とともに人生を終えなくても……と葬式の時はみんな呆れていましたけれど。」

悪魔はユーモアが好きなのだそうです。

ユーモアのある人は、人より面白い体験をたくさんしているわけではありません。「どこに着目して語るか」という目線の問題。

だから、悪魔を笑わせられなかった人は、地獄で徹底的にユーモアのセンスの修業をすることになっているとかいないとか。

人生には無数の側面というのがありますから、その中でも一番つまらなそうに見える側面だけを取り出して、できるだけつまらないように描写してみせる、というやり方をすることもできるわけです。これは決して公平な描写の仕方ではありません。自分の主張に都合のいいように、つまらないものだけを意図的に選び出す描写なんです。

土屋賢二「幸・不幸の分かれ道」東京書籍


無数にある人生の側面のうち、自分の主張に都合のいいものを意図的に選び出せるのですから、まずは自分の主張を決めてしまえばよい。

悪魔の前で自分の人生を主張する日を待たなくても。

「つまらないもの」と主張するのも「オモシロいもの」と主張するのも、自分次第。

大アルカナ「悪魔」は「人生はオモシロいものだと語れる」ことを思い出させてくれます。