木内昇「占(うら)」

この本は7つの短編からなっており、そのうちいくつかの短編の主人公たちは、占い師またはそれに類する人のところへ「行かずにはいられない」状況を抱えています。

木内昇

はたして、占いに行った彼女たちの悩みはスッキリさっぱり解決したのでしょうか。

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「占いで楽になる」以上のこと

この答えは、帯の惹句「恋も仕事も占いで楽になる。そう思っていたのにー」にあり。

木内昇

「なんだ。『そう思っていたのに―』ということは、結局『楽』にはならなかったのか」とがっかりする必要はありません。

7つの短編に共通するのは、主人公たちが「自分自身と向き合い始める」ということ。

それは、いっときの『楽』を得ることよりも、もしかしたらもっと重みのあること。
これもまた「人が占いの果てに見つけるもの、それは自分自身かもしれない。」と帯の惹句に言い表されているとおりです。

木内昇

各短編の終わりには、主人公たちが「自分と向き合う構えを整えた」様子を感じ取ることができます。

わかりやすい解決策が示されているわけではありません。ただ、主人公の視線が短編の始まりよりも少しだけ上向きになっているところに、読んでいる側は大きな力をもらえます。

占いやその他のできごとは、そこに至るのに必要なひとつのプロセス。それぞれの主人公たちが自分なりに消化して、取り込んでいく。その様子を、自分が体験しているかのような気持で読み進めることができます。

今の時代の話、ではないからこそのリアリティ

いずれの短編にも、時代がはっきりと書かれてはいません。
作品に出てくる「カフェーの女給」「先の戦争で露西亜に勝って」などの言い回しから、大正から昭和のはじめごろかと思われます。

そうだとすれば、今からおよそ100年前の女性たちが主人公。
でも彼女たちの抱える悩みは、今の私たちと何ひとつ変わらない。「古い時代の話」ではなく、自分のすぐそばで起こっているようにすら感じられます。

自分に重ね合わせざるをえないリアリティ。
読み応えがある一冊です。

これも惹句なのですが「この物語にはあなたがいる」。

木内昇

7つの短編のいずれか、あるいはいくつかの物語に「自分」を見つけることができるかもしれません。

各短編のタイトルと主人公を簡単に記します。一部は帯の惹句から。

『 時追町のトい家 』
好きな男の心が知りたくて占いジプシーを止められない翻訳家。

『 山伏村の千里眼 』
適当に答えた恋愛相談で人気の「千里眼」になってしまったカフェーの会計係。

『頓田町の聞奇館』
見合いを断り続ける十八歳の知枝。

『深山町の双六堂』
ご近所の家庭事情を双六盤に仕立てて我が家の幸せをかみしめる主婦。

『宵町祠の喰い師』
父の跡を継ぎ、男ばかりの家業を切り盛りする綾子。

『鷺行町の朝生屋』
子が授からないことを気に病みながら暮らす主婦。

『北聖町の読心術』
初めて「両想い」になったものの不安のあまり相手を疑いすぎてしまう佐代。

・・・・・・

占い師またはそれに類する役目の人々のセリフも響きます。これは自分に手渡されたメッセージだな、と思う部分がいくつもありました。

「自分を見つける」ヒントが散りばめられている、素敵な小説です。