「達」の右側は「幸」ではない

達

本当に好きなこととは「言われなくても自然にやってしまうこと」。

……と言われても「自分が自然にやってしまうこと」がすぐ思いつかない。多分あまりに自然すぎて、やっていることすら意識していないからかもしれません。

が、ひとつ発見しました。それは「誤字を見つけること」です。

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「達」の右側は「土」に「羊」

中学生の姪が、鉛筆で書いたマンガを画像にして送ってくれました。
面白く読んでいたのですが、セリフの漢字が違う。

「友達」の「達」が違う。

右側部分が「幸」になっているけれど、正しい漢字はもう一本横棒がいるんだよ~。
「土」の下に「羊」だよ~。


私はその旨をしたためて返信を送りました。

そしてそれ以来、姪から返事がきません。

がっかり

「テストじゃねーし!!」なんて、機嫌を損ねてしまったのでしょうか。
もうおばちゃんとはしゃべってくれないのでしょうか。
私はどうしたらよかったのでしょうか。

と、ラジオ番組の悩み相談室に相談する人みたいな気持ちです。

「正しい」漢字が求められる場面とは

言われなくても自然にやってしまう誤字発見。
なんだか、自分だってしょっちゅう漢字を間違えているのに、自分のことを棚に上げて「正しさ」を振りかざしている気分になってきました。

「漢字は正しく書くもの」と小学校から鍛えられてきました。
でもその「正しさ」は漢字ができたときから不変のものではありません。

たとえば、旧字体と新字体。

国立国語研究所のホームページに「『国』と『國』のように、昔と今とで形がちがう漢字があるのはなぜですか」という質問に答える形で、旧字体と新字体のわかりやすい説明がありました。

やはり字を書く上で,それが書き易いかどうかというのは,重要な要素です。新字体は長い漢字の歴史の中で生み出された数々の字体のヴァリエーションの中から,簡単に書けるものを選んだということです。

国立国語研究所のホームページ「ことば研究館」


書き易いものは使われやすい。使う人が増えれば、それがスタンダートになっていく。

「ら抜き言葉」と言われる「食べれる」も、今は「話し言葉で書き言葉には向かない」とされています。
でも、言いやすいから使う人が増えていくのであれば、そのうち「食べられる」にとってかわるかもしれません。

漢字に限らず「ことば」というのは、使うもの。それも毎日使うもの。
簡単で便利なものが残っていくのは、自然なことだと思います。

と言っても、漢字テストでは「正しい」字を書かないと点がもらえません。
あまりにたくさんの誤字が並ぶ文書も、「……大丈夫か??」という印象を与えかねません。

「正しい」漢字が求められる場面では、それに応える必要がある。
果たして、好きで描いているマンガのセリフは「正しい」漢字が求められる場面に当てはまるのでしょうか?

「主体はマンガなのだから誤字でもかまわない」のか。
それとも「ここで『正しい』漢字を覚えれば、テストで減点を免れるかもしれないのだから『正しい』漢字を書くべき」なのか。

はてな

どちらが「正しい」のか、よくわからなくなってきました。