ありのままに聴く

タロット大アルカナの「正義」。
日本の最高裁判所のHPによると、大ホールにあるブロンズ像「正義」はこんな感じらしいです。

 左手に天秤,右手に剣を持ったブロンズ像は,ギリシャ神話の法の女神「テミス」をモデルとして作られた「正義」像です(作者:圓鍔勝三)。
 左手の天秤は「公平・平等」を,右手の剣は「公平な裁判によって正義を実現するという強い意志」を表しています。

タロットカード

このクマにも、「正義を実現する」という強い意志が感じられ・・・ますよね。

スポンサーリンク

自分に対する「正義」ってなんだろ

人からどういう反応が返ってくるかな・・・なんて考えずに、飾らない自分の考えを出すこと。
これって、自分に対する「正義」なのではないか。と最近思います。

というのも、大人になると「自分の感じたこと」「自分の考え」を素直に表に出す場が、意外にないと気づいたからです。

話し合う場は色々あるものの、大抵は「なにがしかの結論」を出すことが求められる。しかも、「正しい結論」が。

関係者の皆さまにそれほど大きな不満なく受け入れられること。
あるいは、決定権のある人が「正しい」と思うこと。
そのどちらかにおさまるようなものが「正しい結論」。

会議でプリンが出てきたら素敵だな

そういう「常識」が染みついてしまった私などは、長い長い会議の最中、「正しい結論」から遠ざかるような意見が出ると「・・・空気読んで発言してほしいな。また長引いちゃうじゃん」なんて思ってしまうのです。

だから「あなたの意見は」と求められたら、自動的に関係する人々の顔が浮かび、最大公約数な意見が口をつく。
賛同を得るために、説明に工夫を凝らす。
客観的データで根拠を説明し、費用対効果を力説し、マイルドな言い回しを選んだり、という工夫です。

知らず知らずのうちに、自分自身に対しても「工夫を凝らした説明」を言い聞かせていることに気づきました。

その結果、客観的なデータを提示できないと、納得しない自分を生み出しておりました。

しかし、これは自分に対する「不正義」である!!
なんて思うのです。

「好き勝手に話し、聴くこと」を思い出す

こう感じたきっかけは、ミヒャエル・エンデの『モモ』の読書会。

参加者が、「自分の感じたこと」や「自分の考え」を好き勝手に話します。
聞いた人が思いついたことがあれば、それも好き勝手に話す。
結論も正解もありません。

これをやっているうちに、小学校低学年の国語の授業を思い出しました。

授業では、感じたことや考えを、自由に発言していました。
最終的には「この教材から読み取って欲しいこと」へ先生が上手に誘導してくれるわけですが、わき道にそれた意見だったとしても、「それは違います」と頭ごなしに否定されることはありませんでした。
少なくとも私が教わった先生はそうでした。

子どもの意見をありのままに聴き、「そういうことに気がついたんですね」と言いながら黒板に意見をひとつずつ書き留めてくれる。

どんな意見も同様に板書されたことで、正否はない・どれも同等の意見、という意識で黒板の文字を眺めた記憶があります。

人とは違う感想だけれど、自分が気がついたことは大事にしていいんだな。という思いとともに。

そこは、自分の感想を相手に納得させるために、工夫を凝らして説明する必要のない世界でした。

読書会の感覚も、これに似ています。
だから、やっていることは小学校低学年と同じこと(笑)。
でも、楽しい。

スポンサーリンク

心の声を、ただありのままに聴く

会議で「工夫を凝らした説明」をすることは大人としてアリですが、自分に対して「工夫を凝らした説明」をする必要はありません。

「B’zが好きです」と心がつぶやいたら、それをただありのままに聴くだけでいいのです。

「オリコンによると、平成におけるアーティスト別シングル・アルバムの売上枚数1位はB’zでした」

「昨年活動開始30周年を迎え、サポートメンバーも今期のツアーから一新、さらに新たな世界を創っていくものと思われます」

「これらのことから、B’zは日本有数のアーティストといって差し支えないと思われます。だから私はB’zが好きです」

こんな説明をしなくても、大丈夫なのです。


「B’zが好きです」という心の声は、もうひとりの自分も簡単に同意をくれるのですが、同意を得られない(と思い込んでいる)心の声も結構たくさんあるのですよね。

例えば「大英博物館の漫画展見に行きたい」と心の声がつぶやけば、速攻で「なんのために?」「予算は?」「それやったら何になる?経費以上のリターンある?」という質疑がもう一人の自分から飛んできます。
この質疑に応答できないと、もう一人の自分が心の声を糾弾する。

「そんなことが認められると思っているのですか!」と。

心の声はシュンとする。
そして、「これ、間違っていたので取り消します」と引き下がる。

こういうやり取りが繰り返されると、心の声は「言ってもまた厳しい質疑飛んでくるからやめとこ」となって、ひっそり口をつぐんでしまう・・・。おーい。

心の声がなにかつぶやいたら、それに対する質疑は一休みして、ただありのまま聴く。

「そうですか、漫画展見に行きたいのですね」というコメントだけにとどめておく。「なんのために?」「リターンは?」なんて聞かない。

ただ、ありのままに聴く。
それが、自分に対する「正義」の実現・・・ではないでしょうか。