イタリアのイスキア島で食べたタコ

イスキア島にて。「タコのサラダ」を頼んだら、山盛りのタコが登場しました。

このひと皿で、たこ焼きが軽く50個はできるでしょう。

f:id:mappi88:20180713200820j:image

スポンサーリンク

ヨーロッパではタコを食べない

ヨーロッパでは、タコを食べない国が多いです。日本ではあんなに愛されているタコなのに。

ヨーロッパの北の方、北欧やイギリス、ドイツでは食べない。知ってるフランス人に聞いた限りでも、「えっ?タコ食べるの?」という感じ。

フランスの小説家ジュール・ヴェルヌは著作「海底二万里」でタコのことを「妖怪譚に出てくるような恐ろしいモンスター」と表現しているくらいなので、この反応も納得。

イタリアに入るとやっとタコ登場。イタリアのタコおいしいです。普段タコを頻繁に食べるわけではないのに、食べられない国にいると懐かしくて食べたくなる。というわけで、フランスからイタリアのイスキアに移動して真っ先に食べたのはタコでした。

タコを食べながら頭の中に浮かんだこと

タコを食べている私の頭の中に突然やってきたのが「クレクレタコラ」。70年代はじめに放送されたこども向け番組の主役。なんでも欲しがるタコです。

なぜ突然こんな言葉を思い出したのか、理解に苦しみます。そして、こんな仮説を思いつきました。

旅行中って、基本的にこっちから発する言葉は全部クレクレタコラ。

「コーヒーくれ」

「タコのサラダくれ」

「白ワインくれ」

「切符くれ」

「チェックインしてくれ」

「荷物預かってくれ」

「会計してくれ」

「バス乗せてくれ」

「ビーチの場所教えてくれ」

「ジェラートくれ(イタリアでは頻発)」

もちろん、その都度お礼は言いますが、

1日の中で自分から発した言葉は、全て「〜くれ」でした。すごい。「くれ」ばかり言っている言語活動と、食べ物のタコが結びついて、頭の中に「クレクレタコラ」が登場したのではないか、というのが私の仮説です。

検証のしようがありませんが、何事も「自分の中から湧き出た答えが真実」ですから、きっとそうなのでしょう。

スポンサーリンク

「~くれ」という自分の主張をあなどるな

「〜くれ」しか言わないなんて、

欲しがってばかりいちゃいけません!

って言われそう。

クレクレタコラも、番組の中では「アレもくれ、これもくれ」という欲深さを懲らしめられる、みたいな展開になるんでした。幼児向け番組ですから、教育的側面が必要であるという制作意図なのでしょう。

でも、欲していることを伝えないと、誰も気づいてくれない。

で、気づいてもらえないとかなり困る。

この炎天下、浜辺にいて水がない・・・干からびる・・・でもクレクレタコラしすぎちゃいけない・・・なんて遠慮している場合ではないんです。

そんな時は、すぐに売店へ行って「水をクレクレタコラ」と言わねばならない。

明らかに必要不可欠なものであれば、欲求を満たすことを自分に許可するのは簡単です。

しかし、一見「それは必要じゃないでしょ」「なくても困らないよね」「それが、何になる?」というようなものの場合。

こういうものは、「~くれ」ということを自分に許可できなかったりします。

で、まぁいいか、と我慢してしまう。

でもですね。

今日1日、自分から発した言葉が全て「〜くれ」だったことを考えると、

「自分の欲求を満たす」というのは最優先事項なのだなと思うのです。

満たされることで、ほっとする。安心できる。

「水をクレクレタコラ〜」→のどが潤ってホッとする。

「タコのサラダをクレクレタコラ〜」→美味しいものでお腹が満たされてホッとする。

ホッとすると、自分自身でいられます。

そして次に、人のことを考える余裕ができる。

まずは、自分のクレクレタコラに耳を傾けてあげること!!

そして、できる範囲でクレクレタコラに寄り添ってあげること!!

だよなー

なんてことを思いながらタコを食べました。おいしかったです。