「悩んでる時間がもったいない」いや、そうでもないと思います

はてな

新しく始めたいことがあるけれど、どうしよう?どうしよう?

ひたすら迷っていて考えを整理したいと占いの依頼をいただきました。

やりたい理由。でも一歩踏み出せない理由。やったらどうなるか。やらなかったら?

あれやこれやとお話を伺って、ご相談者の方が一言。
「だめだ、悩んでる時間がもったいない。こんなことで立ち止まっていないで、さっさと行動してしまえばいいんですよね」。

いや、そうでもないと思います。

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「悩む」は「無意味」?

確かに、「悩んでいる時間があったら始めてしまえばいい」という考え方はもっともです。

たとえば私は、次のようなことがしょっちゅうあります。

「ブログに何を書こうかしら」と考えて、案を出してみる。
どれもいまいちな気がする。
何かネタはないかなと本棚に手を伸ばしてみる。あるいはネットサーフィンをしてみる。
そっちのほうが面白くなって没頭する。
眠くなる。
書かずに寝る。

犬

最初に思いついたことを、何かしら書き出してしまえば(その質はともかく)記事をひとつ書くことはできたはず。だから「悩む前に始めろ」という考えは「そうなんだよね~」と思います。

だから以前は「『悩んで何もしない』なんて無意味なことだ」と思っていました。
そしてその無意味なことをやり続ける自分にダメ出しをしていました。

しかし、最近思うのです。
「無意味なこと」「意味あること」は、はっきり分かれているものだろうか?
そもそも、何が「無意味なこと」?「意味あること」??

「無意味」なんてないです

私たちは、「行動すること>行動しないこと」という式を頭の中に刷り込んでいます。

だから行動をすることを是とするのですが、行動が形にならず誰にも認められないと「意味があった」とは思い難い。
行動した結果が目に見える形になったり、誰かに認められたり、何かを改善できたりすると、そこで初めて「意味のあること」と認定。

「意味のあること」と認定されるのはかなりハードルが高いのです。

だから「行動しない」なんていうのは、かなり肩身が狭いこと。

冒頭のご相談者さんも「悩んでいる時間」を「何もしていない」とみなして、「だから無駄だ。悩んでいる間に何かしたほうがよい」とおっしゃるわけですね。

タロットカード

たしかに「何もしていない」ということは、一見価値がないように思えます。

でも、私たちの周りには一見価値がないようなもののほうが多い。

たとえば、この場に立っているためには直径1メートルの円のスペースがあれば十分なので、周りのスペースは不要……でしょうか?

1メートルの円の周りが全部切り取られてしまったら、おそらく立っていられません。
地上に密着した幅15センチの板の上は難なく歩けても、その板が50階建てのビルとビルの間に渡されていたら歩けないように。

一見、使われていないように見えるものや、直接なんの役に立っているかわからないものも、必要があってそこにあるのです。これは「もの」以外も同じです。

「無意味なんてない」のだから、どんなことも意味のあること。起こるべきこと。

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「悩む」も込みで人生です


「悩んでいる」ときは、具体的に行動をしているようには見えません。だから、不要なことだ、無意味なことだと思いがち。

でも立派に「悩む」という行動をしているのです。前に進んでいないように思えても、効率が悪いように感じても、必要なこととしてきちんと「できることができている」。

非生産的で効率の悪い(とついつい思ってしまうような)ことに「よくない」という判断を下すことを手放せば、のびのびと悩めます。

悩むことも込みで人生なのだから、「悩んでいてはいけない」と思いながら悩むより、「これも人生満喫しているんだな」と思いながら、のびのびと、すがすがしく悩んだらよいのです。

というわけで、冒頭のご相談者さんは「気が済むまで悩んでみます!」と明るい顔で帰っていかれました。