逆向き瞑想

逆

師が弟子に秘法を伝授する『魔法修行』についてのシェア、3回目。
行法の具体的なやり方の説明に入りました。

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第三信 最初の行法

この章では、最初の行法の説明が書かれています。

その名前は「逆向き瞑想」。
見かけは簡単だから多くの弟子は馬鹿にしやすいが、決してないがしろにしてはいけない、と師は言います。

やり方はこうです。

寝る前に、その日に起こったことを逆向きにたどっていく。
今行ったことや言ったことから始めて、その直前のもの、さらにその前のもの……こうしてできる限り逆向きに進んで、その日の最初のことまでいきつく。
それを記録しておきなさい。

これは通常の「過去―現在―未来」という時間の流れに従って考える習慣を変えるのに役立つ、とその目的を説明しています。
そしてもうひとつ説明されている目的がこちら。

第二に、最初に終局、つまり結果を考え、その次に前に遡って原因を考えることによって、君は自分の行為に対していつもの理由をつけることが、ずっとむずかしくなるのが分かるはずだ。これは心理学で「偽りの自我」と呼ばれている作用を制御することになる。この偽りの自我の破壊こそ、魔法訓練の一過程なのである。

W.E.バトラー『魔法修行』平河出版社

私なりにやってみました。

まず、通常の行動の流れ。

1)紅茶をテーブルの上に置いた
2)本を開いた
3)紅茶を飲もうとカップに手を伸ばした
4)カップから紅茶が数滴こぼれた
5)手元にあった本が汚れた
6)読みながら飲むんじゃなかったな……と後悔した

この6項目の中で注目すべきなのが、4と5。

私は、「紅茶がこぼれた(4)から、本が汚れた(5)」というつながりを見いだしました。

そうすると、「紅茶がこぼれた(4)」の「原因」を探りたくなります。

紅茶をこぼしました

飲みながら本を読もうとしたからだ。
紅茶をなみなみとカップに注いだからだ。
本を汚したのは、私の粗雑さが原因だ。

4と5に密接なつながりを「自分で」つけたがために、それを正当化するための「原因」を探す。
その「原因」は、自分を非難していることがまあまあ多いのですが、果たしてこの「原因と結果」の関係は、ゼッタイ的なものなのでしょうか??

はてな


では「逆向き瞑想」。上の1から6の動きを逆にしてみます。

A)本を読みながら紅茶を飲んだことを後悔した
B)手元にあった本が汚れた
C)カップから紅茶が数滴こぼれた
D)紅茶を飲もうとカップに手を伸ばした
E)本を開いた
F)紅茶をテーブルの上に置いた

この「逆向き瞑想」をするときのポイントについて、本には次のような解説があります。

一つ一つの出来事を想い起こすとき、虚心になって、全く自分のことではないように考えなければならない。一つ一つの行動、思考、言葉の結果を切り離して考察し、こういった考えや気持ちが、なぜあの特別な結果の原因となったのかを見ようとしなければならない。

W.E.バトラー『魔法修行』平河出版社


頭にこびりついた1から6のつながりをいったん横に置き、AからFの動きを「まったく個別に起こった現象」として、一つ一つに切り離してみます。

すると、「紅茶をこぼしたこと」と「本が汚れたこと」との間のつながりもなくなり、どちらも「ただ、そういう現象が起きた」というシンプルなものになる。

つまり、私の粗雑さをあげつらう必要はまるでない!!

せのび


「逆向き瞑想」は、私たちが自動的に当てはめてしまう「原因と結果」の枠組みから離れて「ただ、起きたことをあるがまま」に見る訓練なのかなと思いました。

「偽りの自我」は「原因と結果」を考えるのが大好き。
そして、自分の行為に対してつけがちな「いつもの理由」は「私が〇〇だったからだ」。

行動を逆向きに、そして一つ一つを切り離して観察すれば、「原因と結果」の枠組みは崩れます。

起こった出来事に対して原因を探すのは、単なる癖とも言えるかもしれません。しかも、探し当てる原因は「自分への非難」なのだとしたら……。

その癖、やめてもよいですよね。