首をゆるめる

リラックスするために体に働きかけてみる、ちょっとしたこと。
例えば「深呼吸する」「伸びをする」「笑顔をつくる」など。
色々試してみたけれど、気持ちがよくて自然にやるようになったのが「首は自由に」。

つまり、首をゆるめることです。

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「首は自由に」

「深呼吸する」「伸びをする」「笑顔をつくる」

どれも、力を抜くことがゴール。
自分にあったやり方を、好きなようにやればいい。

しかし、なぜか必要な時に思い出せないのだ。深呼吸も、笑顔も。
キリキリ焦っているときに、「テンパってる!深呼吸しなきゃ!」と思って余計に焦り、深呼吸どころじゃない。

「首は自由に」という表現は、「アレクサンダー・テクニーク」という、身体をラクに使うためのワークを受講した時に知った。

鳩
え?首?

「首は自由に、頭は前に上に、背中は長く広く」。
アレクサンダー・テクニークを教えてくださった先生が、ことあるごとに繰り返していたフレーズだ。

単に「リラックスして~」「力を抜いて~」よりも、「どのパーツを」「どのような状態にするのか」がわかる言葉のほうがやりやすい。

しかも、カンタンで短い言葉に限る。
「首は自由に」という言い回しは、とてもわかりやすい。
その上「自由に」というところに、それこそ自由度がある。
「自由に」という言葉がまとう、正解を決めつけなくてよい気楽さや軽さ。
「この角度で自由になっているんだろうか?」と自問自答する必要がない。
自分が自由と感じられればいいわけだから。

自分にあうことは、自然にやりたくなる

やってみて、「おぉ?なんか気持ちいい」と感じられると、自然とやりたくなる。
自然とやりたくなるから、知らないうちに繰り返す。

「自分にあっている」とは、こういうことだと思う。

これは、やってみないことにはわからない。

「それがよかった」という人の体験談を百人分聞いている暇があったら、自分で1回試してみた方がいい。

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「引き算」のチカラ

私なりの「首は自由に」は、「首にかかっている力が10だとしたら、それを5くらいにしてみよう」という感覚。
減らす方向へ意識を向ける。

人間は、どうしても「プラスすること」「獲得すること」「増やすこと」に燃える生き物。

「深呼吸する」や「笑顔になる」は、足し算の表現ともいえる。

「深呼吸する」は、「今、呼吸が浅くなっているでしょう?だから、もっと呼吸を深くして」
「笑顔になる」は、「今、笑顔になっていないでしょう?だから、もっと笑顔をプラスして」
ある意味「今では足りないから、もっと」ともとれる。

一方、「首は自由に」は引き算の表現だ。
「首は自由に」は、「今、十分に力をこめているから、もっと力を抜いていいんだよ」という引き算。
引き算は「足りない」を意識させない。
むしろ、有り余っているからふるい落とせ、という方向。
この方向性は、ものすごく楽だ。

鳩
あぁ、気持ちいいかも

焦っているときというのは、そもそも「これ以上何かをプラスすることなんてできない!」というキャパオーバーな状態。

深呼吸すると気持ちが落ち着くことがわかっていても、深呼吸を「プラスする」余裕がない。

キャパオーバーになっているのは、身体的なものというよりはむしろ、気持ち。
作業を丁寧に吟味してみると、それほどハードでもなかったりする。
やらないという選択肢もあったりする。

でも、その見極めをする時間ももったいない!と錯覚してしまうくらい、気持ちが切羽詰まっていると、焦りしかなくなる。

こんなときは、引き算だ。
「首は自由に」。
首をゆるめるのだ。
勝手に、呼吸も深くなっていく。
呼吸が深くなると、少し口元がほころぶ余裕も出てくる。

まずは引き算から。
足してばかりのベクトルの逆方向に意識を向ける。
そこで、少し「間」がうまれる。
その「間」が、ゆるみを生む。

「やらない」をやる、アレクサンダー・テクニーク

アレクサンダー・テクニークのさわりを経験した時、私なりに気づいたのは「『やらない』をやる」こと。

人間の身体はもともと、ラクに動けるようなつくりになっている。
それなのについつい足し算してしまい、1ですむところを5、7とチカラをかけてしまう。
この「足し算」は、身体に対してだけではない。
心身は一体だから、当然心に対しても知らず知らずのうちに「足し算」をしている。

自分は、何を「足し算」しようとしているのか。
そんな意識で心身を観察してみると、次から次へと新しい発見がある。
知らなかった自分を発見するのは、自分だけの楽しみ。
これは人生最大の娯楽だ。

アレクサンダー・テクニークは「学びに出かけた場だけで習得する」ものではない。
日々の生活で実践していくことがむしろ本番。
だから、アレクサンダー・テクニークに興味はあるけれど、受ける機会がないなんていう時は、自分なりに「首を自由に」だけでも、やってみたらいい、と私は思う。

亀
首が自由って、僕の場合はこんな感じ

首が自由になる、って、自分の場合はどういう感じかな?
ほんの一瞬、こんな体への問いかけの時間を作ってみるところから、始めてみるのだ。

「首を自由に」のフレーズにピンときたら、ぜひ「やってみて」ください。

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アレクサンダー・テクニークに関する本

「スペクテイター」32号『ボディトリップ』

同号の特集、「3万円ボディワーク・体験ルポ」。
6名のライターが、それぞれボディワークを選び予算3万円以内で体験。その実感と内面の変化が読める。

6種類とは、断食道場、禅ランニング、湯治、太極拳、チネイザン、そしてアレクサンダー・テクニーク。

アレクサンダー・テクニークをレポートしているのは、森脇ひとみさん。
かわいいイラストとともに掲載されているレッスンの様子が、とてもわかりやすい。
レッスン後、日常の生活で「あ、肩が緊張している」とか「あ、首がちぢこまってる」と気づくようになったことは「自分の中では大革命です☆☆☆」と語る森脇さん。

旅は、知らなかったものとの出会いに満ちている。
森脇さんのように、「無意識のクセや習慣に気付いたり体の感覚を意識することがたのしくなって」きたら、毎日が自分の身体という小宇宙への旅をしているようなもの。
まさに「ボディトリップ」だ。

アレクサンダー・テクニーク ある教師の思索

アレクサンダー・テクニークの着想を伝えるために、アレクサンダー・テクニークの教師であったパトリック・マクドナルドが使っていた表現が、次の3つ。

・首が自由であることをゆるす(自由であるようにまかせる/させる)
・頭が前と上へ向かうことをゆるす(向かうがままにまかせる/させる)ために
・そしてさらに、背中が長くなり、広くなるのをゆるす(なるがままにまかせる/させる)ために

しかし、こんな但し書きつき。

「この言葉の意味するものは、固定的なものではなく、時間が経ち経験が増すにつれて、成長していくものである」

「決して意味を固定せず、時間と経験によって、内実が育っていくものだ、ということをこころにとどめておいてほしい」

アレクサンダー・テクニーク ある教師の思索 Patrick J.Macdonald著 細井史江訳(幻冬舎)

「意味を固定せず」と書かれているとおり、技術そのものを言葉で表現するのはなかなか難しい。

というか、言葉で伝えられるものではないのかもしれない。

本に求めてもいいのは、読むだけでマスターできる!という役割ではなくて、アレクサンダー・テクニークの背景にある「思い」のようなもの伝える役割だろうと思う。