スポンサーリンク
「他人の目が気になる」のは、必要なこと
【とある仮説】
我々の祖先は、かつて食糧が豊富なジャングルに暮らしておりました。
しかし!!ジャングルが気候変動のため縮小。
祖先のみなさまは、違う生息環境を開拓する必要に迫られます。
やむなくサバンナに生活拠点を移したものの、食糧調達はジャングルのように簡単ではありません。
そこでは、みんなで生き延びるための「社会」が生まれました。
同じ空間で他者と上手に生きるために、ヒトは他者の心の中を想像する能力が発達したのです。
この仮説をもとに考えると、「あの人はどう思っているのだろう」「この人はこんなことを考えているのではないかしら」とあれこれ考えることは、ヒトが生き延びるために獲得した素晴らしい能力、ということになります。
じゃあ、「人目を気にすること」は、サバイブする能力が高い!と言える。
人の目を気にすることは、すごい能力!
スポンサーリンク
「他人の目が気になる」を言い替えてみる
と思ったところで、ついでに「人の目を気にする」という表現を「他者の心を推し量る」という表現にしてみましょう。
「人の目を気にする」という表現には、
「だから、自分の行動が他人の目を気にしたものになってしまい、自分が本当に望む行動をとれない」というニュアンスが漂います。
字面だけを見ると、「気にしているという状態の描写」にすぎないのに。
人間の想像力とはすごいものです。
でも、「他者の心を推し量る」ならどうでしょう。
推し量ることでひとまず完結。
推し量った結果、自分がどういう行動を取るか、はまた次のハナシ。
「推し量った」ので、こうした。
「推し量った」けど、ああした。
どちらにもつながり方は自由自在。
「私は、他人の目を気にしている」を、今日から
「私は、他人の心を推し量っている」に言い替えてみては?
じゃあ、推し量った結果こうしよう!!
と「次の行動」にうつる前に一呼吸おけるようになります。
ちなみに、今の世の中。
他者の心を推し量っても推し量らなくても、
食糧調達には関係ありません。
安心して、推し量りすぎないように楽しみましょう。
先ほど例示した仮説は、長谷川眞理子・山岸俊男著 『きずなと思いやりが日本をダメにする』より。
進化生物学者である長谷川氏と、社会心理学者である山岸氏の対談です。
「生存に役立つものしか残らない」という視点から見れば、普段の自分のふるまいや、社会の仕組みがまた違ったものに見えてきます。
違うものに見えることで感じるのは、「なるほど、だからこれもアリだね」。
「これもアリだね」を増やしていくと、少しずつ自分の中から
「そうであらねばならない」
が減っていく。
知らない間に自分に課した、「実はなくてもいいルール」が減ると、
自由になれます。