通知表は断捨離して正解

通知表を捨てました。結果的に、通知表に書いてあった先生のコメントという「呪縛(?)」も捨てることができました。棚も気持ちもスッキリです。

たな

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通知表は「今」必要?

小学校から高校までの通知表は、全部保管していました。

でも、これって「今」必要?

この先、誰かに見せる必要がある?

逆に、これまでに誰かに見せなければいけないことがあった?

通知表は、「今学期のあなたの成績をお知らせします」という紙です。成績を通知したら、役目は終了。

成績を通知されてから、〇十年も保管しておく必要は、全くない!

これまでは、「思い出だし~♩」なんて、なかなか捨てることができずにいましたが、今必要かどうか?そして、将来も必要になることがあるのか?と冷静に考えたら、「捨てよう」とあっさりゴミ袋に入れることができました。

通知表の所見を呪文のように刷り込んでいた

どの通知表にも、先生の所見欄があります。

ひとつだけ、その内容をしっかりはっきり覚えているのが小学校2年生の通知表。

「次々と新しいものにとりくむことはすばらしいのですが、ひとつのことに熱中しないものたりなさを感じます」。

ひとつのことに熱中しない自覚があった小学校2年生の私は、これを見て「そのとおりだわ・・・」と感じました。

言い当てられた感があまりに強かったせいでしょうか。

私は、先生直筆のコメントを、その筆跡も含めて覚えているのです。

カメラで撮影した画像を記憶してる感じ。とても読みやすい字を書かれる先生でした。

そして私は無意識のうちに、この言葉を座右の銘のごとく、反芻し続けていました。「私はひとつのことに熱中しないヒトだからね・・・」と。

なにかあるたびに、呪文のように思い出していたのです。これでは、熱中しないように言い聞かせているも同然です(笑)

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人からの評価も断捨離しよう

熱中することが「素晴らしい」って誰が決めたんだろう?と疑うこともなく、先生が「物足りない」とおっしゃるのだから、熱中しないのはよくないことだ、と思っていたのですね。

あぁ素直。

今回、通知表を開いてみて感じました。

「はたして、ひとつのことに熱中しなければいけないのか?」

「物足りない」と感じているのは、自分ではなくて先生の話。

私自身はどう感じていたんだろう。

別に、「物足りない」とは思っていなかったんじゃないかな?と。

ちょっと客観的にそのコメントに向き合っている自分がいました。

一体、何十年かかっていることやら。

紙を捨てることで、そこに書いてある呪文とも関係を断つことができました。

通知表だけでなく、もし、誰かに「あなたってこうだよね」と言われたとしても。

それをご丁寧に反芻して自分に刷り込む必要なんて、全然ないのです。

もちろん、それをすることが楽しかったり、嬉しかったりするならどんどんやればいい。

でも、反芻する内容が、自分を否定的に見てしまったり、可能性を閉ざしてしまうようなことにつながるのなら、やる必要ない。

B’zの稲葉さまも「だったら あげちゃえよ」で歌っています。

ーーなんだったら捨てちゃえよ 

太っ腹でゆけ 

ゴミの日に出してしまえ 

ま新しいハートになれるぜーー

ということで、他の学年のも含め、持っていた通知表は全部ゴミの日に出しました。

ま新しいハートになってスッキリです。

服を大量断捨離したのも、これに負けず劣らずのスッキリ体験。

服を「ときめき」ながら大量断捨離してよかったこと

2018年4月6日

学生時代の教科書を売るなら卒業後すぐがおススメ

通知表ついでに、学校の思い出と言えば教科書。

大学や専門学校の教科書類は、一般的なリサイクル書店では買い取ってもらえないことがほとんどです。教科書は、ブックオフに置いても売れないですもんね・・・。教科書専門の買い取り業者ならその心配は無用。

そして教科書と言えば書き込み。こちらの「テキストポン」さんは、書き込みがある本も買取OKだそうです。

卒業したら、ほとんど使うことはないのが教科書。私は、卒業後ずっと「使うかも」と取っておきましたが、結局一度も読み返すことはありませんでした。

「テキストポン」さんは、「再活躍の場もなく処分されていた大学教科書・専門書・医学書・歯学書・薬学書・専門学校教科書のリサイクルを行い、今必要としている大学生の方に安くお届けすることを目的」とされているので、卒業後はできるだけ早めに買取をお願いするのが、査定額が高くなるコツです。

今回、〇十年も寝かせてしまった教科書は「さすがに無理だろ・・・」と思って普通にゴミに出しました。