
「モノを引きずらないようにするだけで、動作が美しく見える」
どこかで読んで、ずっと頭の中にあったフレーズです。
頭の中にあり続けるということは、心の中で気になっている、ということ。
そうか、私は「美しい所作」に憧れているのかもしれない!とわが身を振り返ってみると、たしかに色々引きずって動かしていました(足に活躍していただくこともありますし)。
お皿を自分の方に寄せようと思って、テーブルの上をずるずる。
机の対角線上にある書類に手を伸ばし、端っこをつかんでずるずる。
床に置いてある観葉植物が通行の邪魔!これもずるずる。足が活躍する場面でもあります。
体重計の位置を変えたいから、ずるずる。あ、ここでも足が大活躍。
結構ずるずるしていることがわかりました。
「モノの近くまで自分が動くのが面倒」「モノを自分に引き付ける方が速い」という思いからこうなっているのだと思います。
が、確かに動作としてはあまり美しくはない。
それに、引きずられるモノも、そのモノに面している部分も傷がつきかねない。
実際私は、大事にしている(自分史上最高額の)高級マグカップは、どんなに遠くにあっても決して引きずることはありません。
この高級マグカップを扱う時はおのずと丁寧に、ゆっくりした動作になるので、心なしか自分の気持ちもゆったりしているように感じます。
「日常使うものは、自分が好きで大事にできるものを選ぶと良い」と言われます。
好きなものは丁寧に扱う。
丁寧に扱うと、気持ちが落ち着く。
日々を落ち着いた気持ちで過ごすには、自然と丁寧に扱いたくなるものに囲まれることもひとつの方法。
そんな意味が込められているのかもしれません。
お道具を大切に扱う茶道にも、似たようなものを感じます。
それに対して、ずるずる引きずっているときは、ゆったり感とは程遠い。
「荒んでいる」とまではいいませんが、「焦っている」感じはします。
おそらく、引きずってもそれほど時間短縮にはなっていないのでしょう。
仮に短縮されているとしても、おそらく1、2秒の違い。
狭い日本、そんなに急いで私は一体どこへ行こうとしていたのでしょうか・・・。
最近は、「モノに近づいてもらう」のではなくて「自分がモノに近づく」ことを心がけています。
当然、モノの動かし方も変わってきました。
これまでは、A地点からB地点へ移動させるとき、A地点からB地点へずるずると引きずっていた。動かし方は「平行」。
これに対して、今の動かし方は「垂直」です。
「垂直に置こう」と意識しているだけで、自然に次のように動くことになります。
モノを垂直に置くためには、接地面へ下ろす動きが必要。
モノを下ろす動きのためには、モノが一旦宙に浮くことが必要。
モノを宙に浮かせるには、持ち上げることが必要。
モノを持ち上げるには、自分がモノに近づくことが必要。
これで動きが変わります。
体の動きと心の動きは少なからずリンクしています。
ゆったりした動作で心の動きにも余裕が出るとするならば。
モノを移動させるという、毎日必ず発生する動作に意識を向けるだけで、何か特別なことをしなくても、心にも少しずつ余裕が生まてくるかもしれません。
よろしければお試しを。