じぶん創造タロット

じぶんにとって日々をよいものにするためのHOW

小学校の同級生にソーセージの試食をもらった

f:id:mappi88:20180410103717j:image

「マッツァリーノ!」遠くで私の旧姓(仮名)を呼ぶ声がする。

 

夕方のスーパー、食品売り場の賑わいの中でも、はっきりとわかるその声。

声のする方を振り返っても、誰に呼ばれたのかわからない。

 

立ち止まって周りを見回すと、もう一度聞こえた。

「マッツァリーノ!!」

 

声の主は、試食のソーセージを焼いている店員さん。

な、なぜ店員さんが私の名を?

顧客情報を記憶してる?

でも、なぜ旧姓(仮名)?

 

とりあえず「はぁ」と返事をする。

どうして彼女が私に声をかけたのか、しげしげと顔を見つめてみてもさっぱりわからない。

 

声の主は笑顔で言った。「私、小学校で一緒だったスズキです」。

あ、ああ!!

言われてみれば、思い出した気がする。

 

けれど、私が逆の立場だったら、絶対にスズキさんを見つけてはいない。

だって、スズキさんは小学生の時よりキレイになっていたんだもの。

 

・・・私、そんなに小学生のままですか?としばし自問。

 

そして、得た答え。

その日は化粧していなかった。

小学校にもノーメイクで通っていた。

だから、小学生のままである。

 

大いに納得したので、試食させてもらったソーセージを買って帰りました。

 

さて、私の旧姓(仮名)マッツァリーノと偶然にも同じ姓の著者による本を本棚から発掘して読み返してみたらやっぱり面白かったので、ちょっぴり付け足しておきます。

 

パオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』

私たちの得意技、「こうしなきゃ」「世の中的にこうだから」「あり得ない」。

 

知らず知らずのうちに自分の行動や考え方を枠にはめてしまうもの。

これは、ある程度しょうがないなと思います。人間だもの。

 

だからこそ、「いやまて、これは呪縛ではないか?」と立ち止まれる力をもつこと。

これは、人生をエンジョイする要素のひとつです。

 

マッツァリーノ先生はその著作で、「実はこんなことも呪縛だったんだよーん」と教えてくれます。

 

しかも、やはり学者だけあって、裏付け資料が半端ない。

これだけの参考文献に裏打ちされていたら、納得度も一気に加速します(ん?もしかして「裏付け資料の多さ=正しさ」も呪縛なのか?w)。

 

例えば、「日本人=勤勉」呪縛を解き放ってくれる回ではこんな感じ。

 幕末の日本に滞在したオランダ人ウイレム・カッテンディーケは、船の修理用に発注した材木が指定した時刻に届かなかったり、職人が来たり来なかったりしたことにかなりご立腹だったようで、そのことを日記に書き残しています。

ーパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』から引用 

 

まるでイタリア人やないの・・・。

 

また、江戸時代は、「不真面目でいいかげんなフリーターのような町人が少なくなかったにもかかわらず、そのことに触れている資料がごくわずかしかない」。

 

そのため、著者は資料探しに苦労したそうです。

資料の量に偏りがある原因は、江戸時代に関する本の執筆者が日本人勤勉神話に洗脳された現代人であるからだ、として次のように語るマッツァリーノ先生。

 職人や商人が一人前になるまでどれだけ苦労したか、なんて話は現代の労働美意識と合致するので喜んで書きますが、その日暮らしを謳歌していたという事実は、労働美意識に反するので無視します。歴史的事実はたったひとつですが、歴史の解釈は、のちの世の道徳・倫理観によって異なるという見本です。ーパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』から引用 

 

まさに、「人は見たいようにモノを見る」。

 

本書は2004年発行なので、取り上げられているトピックに一昔前感があるものも若干あります。

 

でも、著者が掲げる反社会学の目的のひとつ、「不当な常識・一方的な道徳・不条理な世間体から人間の尊厳を守ること。」という視点は、どんな時代のトピックにも応用可能。

 

不要な呪縛とは適当に距離を置いて、好きな呪縛にからめとられよう~!ぐるぐる。